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ジャイアントペンギン

  • 生息年代:
     4500万年~3700万年前
  • 発掘場所:
     南極沖合のセイモア島、
     ニュージーランド
ジャイアントペンギン

ジャイアントペンギンのはなし

その昔、人間と同じサイズのペンギンがいた。

古代ペンギンの中には、 現存する最大種「エンペラーペンギン」よりもはるかに大きなものが見つかっている。1930年に南極セイモア島で化石が発掘されたジャイアントペンギン「アンスロポルニス・ノルデンスクジョルディ」は立ち上がると152~170センチもあったと考えられている。アンスロポルニスは「人に似た姿の鳥=人鳥」を意味するが、すでに絶滅してしまっているため、その姿を確認することはできない。もしも、このサイズのペンギンが現代まで生き残っていたとしたら、「小さくて、かわいいペンギン」というイメージも変わっていたのかもしれない。

北のペンギン・オオウミガラスがペンギンの元祖だった。

そもそも「ペンギン」と呼ばれていたのは、19世紀まで北半球に存在した「オオウミガラス」である。見た目は現在のペンギンによく似ていて、空を飛べない潜水性の海鳥だ。ペンギンという名は、頭に白い楕円の模様があったため、ウェールズ語で「白い頭」を表す「ペン・グィン(pen gwyn)」が語源となったという説や、ラテン語で「肥満」を意味する「ピングウィス(pinguis)」に由来したなど、諸説がある。その元祖ペンギンは人間による乱獲の末、1844年に絶滅し、その名は南半球にいたオオウミガラスのそっくりさんたちが受け継ぐ形となった。「北のペンギンの絶滅」という悲しい歴史は、現在の「南のペンギン」の保護活動に少なからず影響を与えている。

ペンギンを広めたクック船長の功績。

18世紀後半までペンギンは現地人や船乗り、探検家にとっての都合のいい食料でしかなかった。科学的視点が向けられるようになったきっかけは、1768年から3度にわたって行われたジェームズ・クックによる「未知の南方大陸」探索のための航海だった。この航海に同行した博物学者や画家たちが、ペンギンだけでなく魚や鳥、昆虫、植物など、多くの標本や絵を持ち帰り、「ジェンツー」「ヒゲ」「イワトビ」「コガタ」「マゼラン」の5種のペンギンの学名は同行した博物学者J・R・フォルスターによって1781年に記載されている。多くの科学的発見をもたらしたクックの航海は、この後の学術探検にも大きな影響を与え、地球上の自然史にとって非常に大きな意味を持つものとなった。

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