めざずは厨房機器づくりの
スペシャリスト!
1960年代末から全国で回転寿司やファーストフード店の出店が伸び、市場規模が急激に拡大しました。外食産業の成長にともない、1972年に、お客様からの要望の多かった業務用冷蔵庫の販売をついに開始。オリジナリティーを追求していくものづくりから、他者との差別化を図りながらバリエーションを広げました。一定の角度で自動的に扉が閉まる「扉の閉め忘れ防止機能」や、掃除がしやすい「クリアコート仕上げ」の採用など、ホシザキの発想と技術が光りました。
1981年、製氷機の先進国であるアメリカのロサンゼルスに現地法人HOSHIZAKI AMERICA,INC.を設立。創業者(坂本薫俊)の“いつかはアメリカへ”という思いを実現しました。1986年には工場を開設し、全自動製氷機の生産を開始。そして、生産だけでなくアフターサービスの充実を目標に、言葉や文化の違い、そして安全性の考え方の違いなどをクリアし、品質の良さで販売台数を伸ばしました。
1973年には、業務用食器洗浄機を開発・販売。しかし、時代の先を行き過ぎていたためか、思うように浸透せず、生産が一旦中止に。その後、時代の波がホシザキに追いつき、1981年に業務用食器洗浄機の生産を再開。このころは人件費が高くなり始めたころで、人手がかからない食器洗浄機は注目を集めました。以来、年々シェアを伸ばしています。堅実な伸びが続く業務用冷蔵庫と業務用食器洗浄機は、ホシザキのメイン商品として育ちました。
ホシザキは、1988年秋に名古屋市で開かれた「第6回全国都市緑化なごやフェア」に参加。名城公園に「星崎オアシス館」を出展し、来場者と交流を深めました。最新技術を使った氷のさまざまなデモンストレーションで、文字どおり会場のオアシスとなって、来場者から大きな注目を集めました。
ホシザキの販売網は、1969年に「4販社体制」(日本冷機、星崎サービス、阪神冷機、星崎冷機)からスタート。販社の成長とともに、1974年から各エリアで次々に分離分割が進み、現在は15販社体制に。日本冷機の仙台営業所と札幌営業所が東北星崎として分割されたのが最初で、その後、東北、北海道、北関東、関東、湘南、東京、北信越、東海、中国、四国、阪神、京阪、北九州、南九州、沖縄と1988年には15のエリアで分社化。各エリアでお客様と密接な関係を築いています。
1989年に名古屋市内の3会場で開かれた「世界デザイン博覧会」。ホシザキは白鳥会場で、「ペンギンランド」という名前で出展しました。涼しげな音とともに流れる氷の河“流氷くん”をはじめ、三日月形の氷が飛び出す“噴水くん”、全長30mのパイプを通ってボールアイスが滑り落ちる“滑氷くん”などが大人気に。タネ明かしをすると、氷山の下に製氷機とエアポンプを設置。噴き出る氷はアイスコーヒー用で、夜には3色のライトに照らされ青や赤に輝きました。